「良妻賢母」という理想と現実
週末の東京は延々雨が降り続き、ようやく先ほどから雨が上がってきました。今回は大雨だったので、晴れ間が見えるとホッとしますね。
昨日の夕食のメインは、真鯛のトマトのカッペリーニにチキンと玉ねぎのグリル。どちらも主人担当です。昨年の自粛期間以降、週末の夕食は主人が大活躍です。しかも、何事も突き詰める人ゆえ、イタリアンはプロ並み。
いつの間にやら「料理上手の旦那さん」に変貌を遂げた主人のお陰で、私はもっぱら「美味しく食べる担当」になりました^^。私や子供たちが「美味しい~!!」と喜んで食べることが主人のモチベーションになるそうなので、毎回大感謝しながら美味しく頂いています。
こんな風に、今は遠慮なく主人にご飯を作ってもらっていますが、以前の私は「料理上手な奥さん」を目指して一生懸命頑張り、週末に毎回「美味しそうな料理」を作らなくてはいけないことに疲れていました。
まだ子供も幼かったので、私がキッチンにいても、何かあれば「ママ~」と声がかかるんですよね。そこに対応しながらご飯を作っているのに、主人はソファでゴロゴロしながらスマホを見てる。子供も料理も思うようにいかずにイライラが募る。そして溜め込んだイライラが時々爆発したり、子供に八つ当たりをしてしまったりしていました。
今思えば、「美味しいご飯を作らないといけない」「私が頑張らないといけない」といった思い込みで雁字搦めになり、主人に「作りたくない」「手伝って欲しい」という言葉が言えなかったんですよね。本当は私も疲れているし、週末くらい楽をしたいのに、美味しいものが好きな主人の期待に応えねば!と頑張っていた。自分の本当の気持ちにフタをして、「料理上手な奥さん」でいようと必死だったんです。我ながら、良妻賢母目指して頑張っていたなぁと思います。
その状況がガラリと変わったのは、5年前に私が右手首を粉砕骨折して手術・入院したことでした。利き手がほとんど使えない状況で、料理も掃除洗濯も主人に頼まないといけない。一事が万事、「これやって」「あれやって」とお願いしないといけない状態に突入しました。
それまで「専業主婦なんだし、私がやらなきゃ」と思って家事を抱え込んでいた私にとって、主人に何でもやってもらわないといけない状況は、罪悪感でものすごいストレス(笑)。でも、その時に初めて「出来ないことはお願いしたらいいんだな。主人に頼っていいんだな」と気づくことが出来たんです。
それからは、少しづつ主人に家事をお願いするようにしました。そして、週末に朝ご飯を作りたくない時には、素直に「めんどくさい」という気持ちを言うようにしました。
初めて主人に「めんどくさいから、朝ご飯を作りたくない」と告げたときはものすごく勇気がいりましたが、意外や意外。主人はあっさり「じゃあパンでも買ってこようか」と即対応。罪悪感を抱きながらドキドキしていた私は、「なーんだ、私が『朝ご飯を作りたくない』って言っても、大したことないんだ」と拍子抜けしたのを覚えています。
私を始め、多くの女性は幼い頃から「良妻賢母」という概念を無意識に刷り込まれています。そこには「文句を言わず、家事育児はしっかりとこなして、旦那さんも笑顔でサポート」というイメージが強烈にあるけれど、ハッキリ言って無理!!ママだって、頑張れない時も、面倒でやりたくない時もあるんです。心の中の不満を笑顔での見込んで頑張らないとだめだと思っていたけど、それを言葉に出して、旦那さんに伝えていいんだよね。
肩の力を抜いて、がんばりすぎない自分にOKを出す。自分の心の本当の気持ちに気づいて、正直に旦那さんに伝えて、助けてもらう。そんな風にしながら本音で接していくことで、ありのままの自分でいられる、居心地よい夫婦関係が出来上がっていくのだと思います。
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